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「南山会への思い」

更新日:2020年9月4日

山崎さんからバトンを受け取り、何を書こうかとパソコンに向う今、いろいろなことが走馬灯のように思い浮かんできます。 南山会が発足した1982年当時は、日本が1960年代、70年代の勢いを保ちつつバブル絶頂へと向かう第4コーナーを回った頃でした。

1979年には、エズラ・ボーゲルによる「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン:アメリカへの教訓」が出版され、それは文字通り米国への教訓、警鐘の書でありました。 その警鐘と軌を一にするように、1980年代に入り、米国は様々な分野で日本に対する圧力を強めてきた時期でもあります。 その圧力に抗うように、日本経済は膨張を続け、1989年のロックフェラーセンタ―ビルの買収を典型例として、多くの海外不動産を買いあさるところまで行きつき、バブルが弾けます。 その後の30年、我が国は様々な国際指標上の地位を落としていきます。

万物流転、世の中が変化し続ける中で常に自分の軸足の位置を確認することが大切だと思います。南山会では、私は皆勤賞にはほど遠い存在でしたが、毎月必ず開かれている例会に顔を出すと、各界で活躍される講師の話を聴講しつつ、いつもの仲間との自由な談笑がありました。それは仕事では得難い良い刺激となり自分を見つめ直すヒントともなりました。

2年後には、南山会は40周年を迎えます。 引き続き、自由闊達な意見交換を通じて、参加者各位がよい刺激をうける場であって欲しいと思います。 結果としてそれが個人としてあるいはチームとして、少しでも社会を変える力になれば素晴らしいことです。

最後に、これまで南山会が一度も途切れずに来られたのも、偏に幹事役諸氏の努力の賜物です。 2020年1月から、3代目幹事団にバトンが引き継がれましたが、新型コロナによる災禍で奇しくも月例会がオンラインとなり、いかにもディジタル時代らしい引継ぎとなりました。 新幹事団の新たな試みと共に、今後の南山会の更なる発展を願っています。

2020年8月7日

齋藤彰夫

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