「38年目の南山会に思う」
- 南山会会員
- 2020年7月10日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年8月2日
南山会の発足と正式な活動開始は1982年2月です。
発足の当初から、毎年毎月一度として定例会を中止したことはなく、本年2020年1月までは
毎月例会を継続して来ました。このまま40周年記念まで問題なく続けられると思った矢先、
「新型コロナウィルス感染の拡大」により、2月から4月まで月例会の開催が急遽途絶えてしまった訳です。世の中一寸先は闇で、明日の事を的確に予測できる人などおりません。
また、いないから世の中が面白く、誰しも明日に希望を感じて毎日を迎え、過ごせるのでしょう。
この37年間、一度として中止することなく毎月例会を続けられたことは、「南山会の一番の特長」であり、誇れるところです。振り返って見るにその継続理由は、会に面倒な会則や条件を設けず、広く様々な分野から、興味を持って参加する方達を積極的に招待し、会員になってもらったことにあるようです。
誰でも自由に発言でき、自分の意見を述べ、他の参加者と意見交換をし、「フリーに討論できる点が受け入れられた」のだと思います。その南山会発足時は30代後半の会員が、この数年かなり入れ替わって来ており、時代の変遷を実感しています。会員が毎月交代で講師を務め、会員が仕事で海外に出張することも多く、欧米から東南アジア、中近東などの情報を持ち寄り、仕事を通して海外状況を知り、意見交換を継続しました。
昭和50年代(1980)や60年代は、各自が業務を通じて得た知見を紹介、情報交換を行いながら同年代の会員を増やして行きました。
平成(1990)になると、会員の知人、友人など人脈が広がり、年間数回は講師にジャーナリスト、大学教授、国会議員、弁護士、経営者など著名な方を招き、講話を聞き自由討論を行うようになって行きました。
当時の大きな事件としては、1995年(平成7)にオーム真理教団が起こした地下鉄サリン事件があり。霞ヶ関駅構内でのサリン大災害が、南山会会員有志がジャカルタを訪問、インドネシア経済人との交流会を行った時でした。それから既に25年が経ち、当時ジャカルタで自動車工業会会長を務め、ジャカルタ南山会の主催者だったヘルマン・ラティフ氏が一昨年に亡くなり時代は変わっています。
また、2011年(平成23)3月の東日本大震災では、福島第1原発事故を徹底的に調べ、原因究明を会員で行い、その後の国の電気エネルギー政策への批判と提言を多くの会員参加で行いました。
また、近いところでは2018年に世界最高速リニアコライダー研究施設ILCを東北北上山地への、ILC国際誘致計画の支援活動を行い、岩手県ILC誘致推進協議会との連携活動、及び有識者を招いての討論会を開催しました。
振り返って活動の一部につき書きましたが、南山会の多くの活動を通じ、社会の動きを日本だけでなく世界からの見方を入れながら、「オープンに自由な討論を行えるということが南山会の活動の基本」となっています。このような活動の継続は、多くの参加会員の協力と、講師を引き受けて頂きました沢山の方々のご支援があったからに他なりません。
ここに改めまして、関係各位に対し感謝申し上げます。この先は、「近くに迫っている40周年記念会」を含め、更に会員を増やしながら活動を広げ行くことを強く願っています。
2020年7月10日
田中 俊太郎
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