新会長 平野ユキ子氏より
「年頭の感」― 南山会会長を引き継ぐにあたって
明けましておめでとうございます。
令和3年の年が明けました。皆様お健やかに年明けを迎えられたことと拝します。
さて昨年、田中俊太郎氏が南山会の会長を降りられ、不詳私、平野ユキ子が今年から会長を引き継ぐこととなりました。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
昨年はコロナで明け、コロナで暮れました。 昨年末の「望年会」の時に万有引力を発見したニュートンのCreative Vacation (創造的休暇)のお話をしましたが、ご参加にならなかった方のために、再度簡単に申し上げますと…
17世紀、ペストの蔓延を人々が恐れて経済活動をやめ、引きこもったことがあり、その状況は、コロナを恐れて人々が社会活動や経済活動を十分に出来なくなっている今の状態に似ています。農家の長男だったニュートンは、ペストを避けて田舎に引きこもり、ペストが終息するまで一年半余りの休暇を過ごしますが、この時今まで出来なかった理論の構築に取り組み、後年ニュートンの三大業績と言われる「微分・積分学」、「光学(プリズムでの分光実験)」、「万有引力の発見」を成し遂げます。この業績は、18世紀の産業革命とともに理論から実践となり、その後の世界の発展に寄与しました…。人々はこの時のニュートンの田舎での休暇をCreative Vacation(創造的休暇)と呼びました。
コロナの蔓延は、世界にこの頃と同じような閉塞感をもたらしましたが一方、日本の科学技術力は「ハヤブサ2号」の快挙を成し遂げました。30数億キロも離れた小惑星「リュウグウ」に、着地困難な状況のなか緻密な計算をし直し、見事着地に成功。サンプルを採取しまた再び地球に戻ってきたのです!「ハヤブサ2号」の地球帰還のニュースは、世界中を沸かせました。これは世界で初めてのことで、コロナ禍で沈滞ムードにあった私たちは改めて、日本の技術力に誇りを抱き、勇気づけられた出来事でした。今、コロナ禍にあっても世界は新たな世界へと進みつつあるように思います。
History repeats itself.(歴史は繰り返す)と申します。ただ全く同じことを繰り返すのではなく、スパイラルに上昇しながら進歩していくと思います。ペストが北里柴三郎博士のペスト菌の発見によってもう恐怖の伝染病ではなくなったように、コロナも克服される時が来るでしょう。そしてその時、新しい素晴らしい世界が開けてくると信じております。
昨年の田中俊太郎氏の退任のごあいさつの中で、「…世界的コロナの脅威のなかで南山会の会長を交代することは日本の首相や米国大統領の交代と同じく大いに時機を得たものである、時代の流れと喜んでいる…」というくだりがございました。
実は私は、(私自身は残念ながら会う事は無かった)田中清玄氏と大叔父の米内光政との不思議なご縁も感じております。。。
田中俊太郎氏の言葉を衷心より、感謝をもって受け止め、励んでまいりたく思います。
会員の皆様におかれましては、今後のご指導・ご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げまして、会長就任の年頭のご挨拶といたします。
2021年1月元日 平野ユキ子
前会長 田中俊太郎氏より
「2020年12月末をもって南山会会長を交替」
新型コロナウィルス感染拡大が続くこの2020年に、会長交替を行うことは、今後の社会変化を考えますと
時機を得たものになろうかと思われます。
2020年12月4日
令和2年末を迎え、38年間続けて来ました南山会会長をいよいよ交替する時が近づきました。
会長交替をと本気になり動き始めたのは、最終的に退職し南山会の活動に専念できるようになって5年程経った
2014年頃からです。それ以前は、東芝(株)、東芝エンジニアリング(株)、東芝ITソリューションズ(株)、ケンウッド(株)などで仕事をしながらの会長でした。その頃は会設立当初からの幹事林賢一氏と後任幹事を引き継いでもらいました片倉司氏に、会の方は任せきりで、多少時間のある時に会合のテーマや講師を提案する程度でやっていました。
2009年6月にJVCケンウッドを退職してからは、完全に仕事を離れ、自由となった時間をフルに使える身分となりました。そこで、改めてこれから南山会に専念できるなら、会の活動をこれまで以上に活発にし、会員には20代、30代の若手会員を増やし、会の一層の継続発展を考えるようになりました。
昭和57年(1982年)に始めてから、毎年毎月一度として途絶えることなく、南山会の活動が継続されましたのは、上に述べた幹事二人の多大な貢献によるものです。38年間の長期にわたり継続した月例会運営は、南山会が誇るべき点となりました。そして年号が昭和、平成から令和へと移り、多くの会員が高齢となり、私を含め多くの会員がとうに還暦を過ぎ、さらに後期高齢者となっています。その為、会の活動も会員も、年齢構成で若返えりを行うべきとの考えがこの数年ますます強まりました。
その間に、世界はインターネットを通じて速度を増し激しく変化するグローバルな動きが大きく、会の活動範囲を広げて行く試みを行いました。一つは、会員有志を募りインドネシアの大学と連携、インドネシア地域の産業育成プロジェクト支援への取り組みです。2013年〜2018年にかけて、三井物産(株)IR活動の一環で、地球環境維持による地域産業育成支援の資金提供を受け、海藻養殖の食品加工と高地におけるコーヒー植樹とコーヒー精製のプロジェクト活動を支援しました。
そのように会の活動を幅広く進める中、徐々に20代から30代の若手会員が増え、会の特長である活発な討論も時代の変化を受けて変わって来ました。毎月会合に顔を見せていた当初からの会員の出席が徐々に減り、小生の会長としての役割を、いよいよ次の方に引き継ぐ時が来たなと思うようになった次第です。
南山会次期会長への引継ぎを真剣に考え始めたところに、平野ユキ子氏の存在が大きくクローズアップされて来ました。2011年の東日本大震災後の東北復興支援活動で、お世話になってから平野氏には南山会で講師をお願いし、その後の月例会にも出席と馴染んで頂き、よいご縁ができたと思われます。
平野ユキ子氏の活動は、岩手県会議員、岩手大学講師、日本スペシャルオリンピックス委員会理事、仏アルザスとの文化交流委員などと極めて活発で多岐にわたっております。今後南山会活動を更に幅広く継続して頂くには最適の方と思いまして、後任の会長を引き受けて頂くようお願い致しました。
平野氏は、盛岡市に本社のある電気工事の岩舘電機株式会社会長夫人としても、主婦としてもご主人を支え、大変にお忙しい身であります。その様な状況は十分に承知しながら、会をこれから更に発展させて頂くには他にはない方と思いを定めました。何とか会長職引き受けることを了承して頂き、大変に安堵しております。私が南山会活動の中で行った最も大きな仕事と自負できるところです。
平野さんには、ご自身の豊富なキャリアから新たな南山会活動を進めて頂けるものと期待しています。
特に、ご自身の人柄と人脈で女性会員を増やして頂ければと、お願いしています。
平野さんは普段は盛岡市にお住まいですが、コロナ後の社会では、どこに居ようと会合には参加でき、会員の皆さんと連絡を取り会の活動を進めることは容易となります。併せて、会の皆さんもどこからでも、自宅や出先からオンライン会合に参加でき、活動は一層自由でオープンな形態となって行きます。
従いまして、今回の会長交替は大いに時機を得たものになると信じております。世界的コロナ脅威の時、南山会会長を交替することは、日本の首相や米国大統領の交替と機を同じくし、時代の流れと勝手に喜んでおります。
初代会長として行って来ました38年間の活動は、会員の皆さん並びに毎月の月例会で講師を引き受けて頂きました多くの方々のご協力とご支援がなくては、あり得ませんでした。
改めまして、厚く御礼申し上げます。併せて、平野新会長を中心とする南山会第2期の活動に対しまして、
これまでにも負けないご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。
大変有難うございました。
田中 俊太郎 拝